名曲解説:ドビュッシーの《喜びの島》

このページではドビュッシーの『喜びの島』を解説していきます!

クラーニャ

『喜びの島』について学ぼう!

『喜びの島』はフランスの作曲家クロード・ドビュッシーが1904年(42歳ごろ)に作曲したピアノ曲です。もとはベルガマスク組曲の中の1曲として発表される予定でしたが、出版社との契約の関係で単独で発表されました。

もとがベルガマスク組曲だったこともあり、この曲は『月の光』と同じく「艶なる宴(雅びな宴)」がモチーフになっています。「艶なる宴(Fêtes galantes)」とは18世紀フランスのロココ時代を代表する画家、アントワーヌ=バトーに代表されるロココ絵画のジャンルです。

『月の光』はバトーの絵画に影響を受けたポール・ヴェルレーヌの詩がもとになっていますが、『喜びの島』はバトーの絵画「シテール島への巡礼」がモチーフになっています。

バトー作「シテール島への巡礼」

バトー作「シテール島への巡礼」

ニャンチーニ教授

「艶なる宴」は当時の作曲家達が好んで用いたテーマじゃ
ドビュッシー以外にもラヴェルやフォーレがこれをテーマにした曲を残しておるぞ

シテール島はエーゲ海、クレタ島の北西にある島で、日本ではキティラ島と呼ばれています(シテールはフランス語読みで、キティラはギリシャ語読み)。島のすぐ近くには世界最古のアナログコンピューターと言われる「アンティキティラ島の機械」が発見されたアンティキティラ島があります。

ギリシャ神話においてキティラ島はアプロディーテーゆかりの地とされています。アプロディーテーは愛と美と性を司るギリシア神話の女神で、オリュンポス山の山頂に住まうと伝えられる12柱の中の1柱です。

ギリシャ神話から発展したローマ神話では、アプロディーテーに相当する女神として愛と美の女神ヴィーナスがキティラ島と結びつけられます。これによりキティラ島は「愛の島」や「ヴィーナスの島」のイメージが定着するにいたりました。

バトーは「愛の島」のイメージからこの島を絵画の題材に選び、それがドビュッシーの『喜びの島』への作曲と繋がっていきます。

サンドロ・ボッティチェッリ「ヴィーナスの誕生」

サンドロ・ボッティチェッリ「ヴィーナスの誕生」

『喜びの島』の「喜び」って、愛の喜びを指しているのかな?

クラーニャ

ドビュッシーは『喜びの島』を作曲中に、歌手で既婚者だったエンマ・バルダックに恋をします。ドビュッシーは当時すでに貧しい家庭出身の女性と結婚していましたが、もともと上流階級に憧れていたこともあり、知性と教養にあふれるエンマに惚れてしまいました。

ドビュッシーはエンマに熱烈な手紙を送り、二人で会う約束を取りつけます。結局二人は結ばれイギリスのジャージー島に駆け落ちし結婚しました。ドビュッシーは幸せを手に入れましたが、これが大きなスキャンダルとなり多くの友人が彼の元から離れていきました。

エンマとの禁断の恋が『喜びの島』にどれだけ影響を与えたかはドビュッシー本人にしかわかりません。しかし愛の島をテーマにした『喜びの島』に、この恋が少なからず影響を与えたのは確かでしょう。

ドビュッシーってホントに女癖が悪いですよね
若いころも人妻に手を出していたし

クラーニャ

ニャンチーニ教授

じゃが、それが名曲『月の光』や『亜麻色の髪の乙女』の作曲に繋がっておるからな、彼の美しい曲は女癖の悪さ故に生まれたといえるじゃろう
まあ、ほめられたことではないがな