名曲解説:シュトラウス1世の《ラデツキー行進曲》

ヨーゼフ・ラデツキー将軍

ニャンチーニ教授

《ラデツキー行進曲》はヨハン・シュトラウス1世が作曲した行進曲じゃ。古今東西、数ある行進曲の中で最も有名な曲の一つじゃな

作品の概要

ヨハン・シュトラウス1世はオーストリア出身の作曲家。ワルツの作曲で名をはせ、「ワルツ王」と呼ばれました。同年代の作曲家にはメンデルスゾーン、シューマン、リスト、ショパンがいます。

シュトラウス1世はウィーンの有名な音楽一家を作り上げた人物でもあり、その子供シュトラウス2世は《美しく青きドナウ》で有名ですし、次男のヨーゼフも有名な作品が多数、他の兄弟達も作曲家として活躍しました。

そんなシュトラウス1世の代表作は皮肉なことに、行進曲であるこの《ラデツキー行進曲》です。

いちおう《ローレライ=ラインの調べ》という有名なワルツがありますが、それでもこの《ラデツキー行進曲》の知名度には劣ってしまいます。

ワルツじゃないんですね…

クラーニャ

作曲の経緯

この曲が作曲されたのは1848年、シュトラウス1世が44歳の時のことです。

当時のオーストリアは「オーストリア帝国」と呼ばれ、今のオーストリアからは想像できないほど大きな領地を持った大国でした。

しかし支配の基盤は盤石というわけではなく、あちこちで独立運動が展開されている状況でした。

現在のイタリア北部もその一つ。この地域も独立の機運が高まっており、オーストリアは事態の鎮圧に乗り出していました。

そしてこのイタリア北部の独立運動鎮圧に出向いたのがヨーゼフ・ラデツキー将軍でした。

ラデツキー将軍は独立運動を見事に鎮圧。首都ウィーンでは彼の偉業を称えるため、祝典行事が執り行われることとなります。

この行事のための楽曲を依頼されたのは当時ウィーンを代表する作曲家だったシュトラウス1世。彼は作曲に取り掛かり、わずか2時間でこの曲を完成させたと云われています。

ニャンチーニ教授

昔のオーストリアは今とは違って、かなり大きな国だったのじゃぞ

人気の裏にシュトラウス1世の苦悩が

ウィーンのラデツキー将軍記念碑

ウィーンのラデツキー将軍記念碑

《ラデツキー行進曲》は祝典行事で演奏されると、たちまち評判となり人気を博しました。

しかしシュトラウス1世にとって、この曲の人気はあまり良いことばかりではなかったようです。

この曲が作曲された1848年の2月、フランスで革命が起こり、その余波がシュトラウス1世の住むオーストリアまで押し寄せていました。

シュトラウス1世もこの革命の動きに期待を寄せていた人物の一人。彼は当時抑圧的な政治を行っていた政治家を失脚させようとして、『学生軍団行進曲』、『自由行進曲』、『ドイツ統一行進曲』など、革命を後押しするような作品を次々発表しています。

しかし、革命運動は盛んになるにつれ、どんどん違う方にいってしまいます。

最初はただ抑圧的な政治家を失脚させるだけの目的だったのが、いつしか王政の打倒、つまり政治体制そのものを変える為の革命運動になってしまったのです。

これは当初、シュトラウス1世が考えていた革命運動とはまったく違うものでした。当然、彼はこれを歓迎しませんでした。

そんなおりに、シュトラウス1世は政権側の人間であるラデツキー将軍の勝利祝典用の曲を作曲して成功させてしまいます。

これによってシュトラウス1世は、政権側の人間という印象がついてしまいました。

ニャンチーニ教授

結局この曲は、オーストリア帝国の愛国を象徴する曲とまで言われるようになってしまったのじゃ。シュトラウス1世の心中は複雑だったじゃろうな
なんでシュトラウス1世はこの曲の作曲を引き受けたんですかね?やらなければよかったのに

クラーニャ

曲名の意味・由来

タイトルのラデツキーとは、オーストリア帝国の軍人ヨーゼフ・ラデツキー将軍の名前からとられています。

ラデツキー将軍はチェコ出身の軍人で、ハンガリー貴族の流れを組む貴族の家柄でした。

軍人として数々の戦争に参加しましたが、一番の功績は先にあげた北イタリア独立運動の鎮圧です。

北イタリアの独立運動は1848年以降を続いており、ラデツキー将軍もその都度鎮圧に動きました。

ラデツキー将軍は事態収集のために首謀者を片っ端から処刑するなど、結構きついことをやっています。

ニャンチーニ教授

まあ、これが民衆の反感を買うことになり、かえって逆効果だったようじゃがな

ラデツキー将軍の功績としてもう一つ忘れてならないものがあります。それが「ヴィーナー・シュニッツェル」です。

「ヴィーナー・シュニッツェル」はオーストリアの国民的な肉料理で、「ウィーン風子牛のヒレ肉」という意味があります。

これはイタリア・ミラノのカツレツから派生した料理なのですが、これをオーストリアに紹介したのがラデツキー将軍といわれています。

ただし俗説なので、本当かどうかは怪しいところです。

ヴィーナー・シュニッツェル

ヴィーナー・シュニッツェル

同じカツレツに起源を持つトンカツの兄弟料理ですね!

クラーニャ

ニャンチーニ教授

日本のトンカツは「揚げる」に対して、ヴィーナー・シュニッツェルは「焼く」じゃからのう。調理方法が違うのじゃな

曲の視聴

では演奏を聴いてみましょう。

Mariss Jansons, Wiener Philharmoniker – Radetzky-Marsch, Op. 228

オーストリア帝国亡き後の現在でも、依然として《ラデツキー行進曲》はオーストリア共和国を象徴する曲として親しまれています。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が毎年行うニューイヤーコンサートでの演奏は非常に有名です。この曲はプログラムの最後に必ず演奏されます。

ちなみに現在ニューイヤーコンサートで演奏されている《ラデツキー行進曲》は原曲とだいぶ違うものになっています。これは長年にわたって手が加えられた楽譜を使用していることが原因です。

なんだかんだ作曲を引き受けたのは正解だったってことなのかな〜?

クラーニャ